元禄2年新暦の6月9日芭蕉と曽良は等躬を訪ねて須賀川へ入りました。「奥の細道」の本文に「すか川の駅に等躬といふものを尋ねて、4,5日とどめらる。」とあります。その等躬は本名を相楽伊左衛門と言い、問屋の仕事をしながら、その商業活動のために江戸へ度々出かけていました。その間に江戸での俳諧活動も持たれ、芭蕉との関係が生まれました。等躬は奥州俳壇の宗匠としてその地位にあり、芭蕉に多くの情報を提供し、「みちのく歌枕の地」探訪の旅を助けました。 風流の初やおくの田植歌 芭蕉 覆盆子を折て我まうけ草 等躬 水せきて昼寝の石やなをすらん 曽良 ここ「軒の栗庭園」は、等躬の住む本町に芭蕉が逗留し 世の人の見つけぬ花や軒の栗 芭蕉 と詠まれたことから名付けられました。 平成13年3月 本町町内会 |