八溝山地の北部、八溝山塊の最も西の部分の、標高300m前後を示す丘陵地帯にある。その丘陵の広い突端部を利用し、人工的に大規模に手を加えた平山城である。・・・
構築者の芦野氏の祖先は、約7〜800年前の鎌倉時代には小さな武士の頭として、この芦野の土地と人々を支配し、奈良川の右岸の地に居館を構え、次いで室町時代の前期にその南の館山城に移ったと伝えられている。したがってこの平山城は芦野氏第3番目の拠所となる。・・・江戸時代の初期に芦野氏は、芦野周辺の村落及び芳賀郡内の6か村を合わせて3016石を領有し無役で参勤交代する旗本(交代寄合といい、居館を陣屋という)として明治維新までの約260年間ここを支配の拠点とした。そのことから、芦野氏陣屋跡とよんでいる。以下、略        那須町
 芦野氏陣屋跡 芦野 栃木
別称 芦野城・桜ヶ城・御殿山