酒見神社 宮山 今伊勢町本神戸 一宮市 愛知県 
(倭姫命十五番目御聖跡)由緒
祭神「天照皇大御神、倭姫命 酒弥豆男命  酒弥豆女命」
第11代垂仁天皇の王女倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇の14年(紀元646年)6月1日当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建設せられたのが酒見神社の始めであり出来上った社は総丸柱で草屋根にて高く後世に吹抜きの宮と呼ばれたと言います。現在に伝えるのが本殿裏に祀る倭姫神社であります。第55代文徳天皇斎衛3年9月(紀元1514年)当村は上質の米が取れる事から遣唐使でもあったと言われる大邑刀自、小邑刀自二人の酒造師が皇太神宮より大酒甕二個を携帯され当宮山に遣わされ伊勢の翌年の祭りに供える酒を造らしめ給うた、と文徳録にあります。当時どぶ酒等は各地で醸造されていましたが、清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神社は清酒醸造の元祖の神社ということになります。 第71代後三条天皇延久元年(紀元1729)伊勢内宮より式典等に明るき神宮神主の伊勢守吉明に神宮神主と兼任の体にて二百石を与え、従来の本神戸、新神戸、新加神戸に馬寄を合わせて今伊勢の庄の名を賜り、以来900年間、平安時代より明治時代を通じて代々世襲をもって尾張今伊勢の庄本神戸神主たりと定められたのです。