野ざらし芭蕉道 港町 羽島郡笠松町 岐阜県

笠松と松尾芭蕉の「野ざらし紀行」
貞享元年(1683年)秋八月「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠み江戸を旅立った芭蕉は、郷里「伊賀上野」を訪ね美濃大垣に到着した。 それより船で揖斐川を下り、桑名を経て名古屋に留杖し、蕉風の樹立となった。 やがて芭蕉は郷里で越年すべく十二月二十一日ころ熱田を発つとき、「笠松へ着日」と詠み、美濃に入り笠松に一泊した。 蓮国禅寺に「木槿塚」がある。 それより関ヶ原を経て美濃を出るとき、今須寝物語の里にて「正月も美濃と近江や閏月」と吟じ郷里へ着き、「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」と詠み越年した。 翌二年春二月上野を発った芭蕉は、大和を巡り水口を経て中山道を鵜沼に向った。 途中細畑より「木瀬草庵」を訪ね三月二十三日ころ「野中の日陰」「雲雀ふたつ」の吟を残した。 鵜沼脇本陣に宿った芭蕉は大針に吟行。 三月二十六日頃木曽川を船で下り、笠松を過ぎた辺りで、「船頭殿」と詠み、桑名を経て再び熱田に留杖した。 その後木曾・甲斐を経て夏四月末江戸深川に九ケ月ぶりに帰庵し「夏衣いまだ虱をとりつくさず」と詠んだ。 この旅の記を「野ざらし紀行」と呼ぶ。  昭和63年6月 芭蕉翁顕彰会  岐阜県笠松町