岐阜問屋跡(左手) 加納新町 岐阜市 岐阜県
加納新町の熊田家は、土岐・斎藤時代からこのあたりの有カ者で、信長が岐阜にあったころには加納の問屋役をつとめていました。江戸時代に入ると、全国から岐阜へ出入りする商人や農民の荷物運搬を引き受ける荷物問屋に力を注ぐようになり、「岐阜問屋」と呼ばれるようになりました。 江戸時代、岐阜問屋は岐阜の名産品であり、尾張藩が将軍家へ献上する「鮎鮨」の継ぎ立てをしており、御用提燈を許されていました。献上鮎鮨は岐阜町の御鮨所を出発し、岐阜問屋を経由し、当時、御鮨街道と呼ばれた現在の加納八幡町から名古屋へ向かう道を通り、笠松問屋まで届けられました。岐阜問屋には特権が与えられていましたが、それは献上鮎鮨が手厚く保護されていたことによるものでした。 平成11年3月  岐阜市教育委員会