御茶屋御殿跡 御殿町 若葉区 千葉市 千葉県
徳川家康が東金への鷹狩りのために休息所として造営したものです。このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、お狩場である東金には「東金御殿」が設営されましたが、寛文年間(16611〜72)に取り払われて、その跡地も現在大きく改変されています。この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられますが、跡地は良く旧態を止めています。御殿跡はー辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし、南北2ケ所に出入口があって、その内側に桝形土塁が構築されていました。内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他、17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されています。 平成9年3月  千葉市教育委員会