東金(御成)街道は、徳川家康が上総国東金(現東金市)での鷹狩りに向かうための通行路として造られたと言われ、御成街道とも呼ばれます。船橋を起点として、市内の藤崎・大久保新田・実籾を通り、犢橋・金親・小間子牧を経て東金に至る約37kmの道です。慶長18年(1613)12月、家康は翌年正月に東金で鷹狩りを行うため、佐倉藩主土井利勝に東金までの新道築造を命じ、沿道の村に工事が割り振られ、「提灯街道」「一夜街道」の別名があるように、昼夜兼行の工事でごく短期間のうちに完成させたと伝えられています。ただし、家康がこの道を初めて使ったのは元和元年(1615)11月ですので、実際の完成はこの頃だったと考えられます。 この道は鷹狩りのためだけでなく、政治的・軍事的な理由から造られたという説があり、また、家康の鷹狩りには軍事訓練・周辺諸大名の牽制・権威の誇示・庶民の視察などの目的もあったと言われています。徳川秀忠も鷹狩りのためにこの道を何回か通行しましたが、寛永7年(1630)を最後に東金での鷹狩りは行われなくなり、この道は役人の通行路・民間の物資輸送路・庶民の生活道となり、大部分は今日も道路として使われています。 なお、ここから南東100mほどの位置に一部が残る藤崎古道は、東金(御成)街道以前の道の名残りであると伝えられています。 平成21年3月  習志野市教育委員会
藤崎交番前説明板 藤崎1丁目 習志野市 千葉県