十綱橋 摺上(すりかみ)川 飯坂温泉 福島市
     みちのくの とつなの橋に くる綱の 絶すも人に いひわたるかな 千載集
平安の頃、この地に藤づるで編んだ吊橋がかけられていた。文治5年(1189)大鳥城主佐藤元治は、義経追討の鎌倉勢を迎え撃つため、この橋を自らの手で切り落とし、石那坂の合戦に赴いた。その後は両岸に綱をはり舟をたぐる「とつなの渡し」にたよったが、摺上川はたびたび氾濫する川で、舟の往還にも難渋した。明治6年(1873)盲人伊達一、天屋熊坂惣兵衛らの努力によりアーチ式の木橋が架けられ「摺上橋」と命名されたが一年ほどして倒壊、同8年に宮中吹上御苑の吊橋を模して10本の鉄線で支えられた吊橋が架けられ「十綱橋」と名づけられた。 大正4年(1915)橋の老朽化に伴い、当時としては珍しい現在の十綱橋が完成された。 昭和40年(1965)に大補修が加えられ、飯坂温泉のシンボル的存在になっている。     
飯坂の はりかね橋に 雫する あづまの山の 水色のかぜ  与謝野晶子              昭和57年 福島飯坂ライオンズクラブ

十綱の渡し跡

与謝野晶子歌碑 愛宕山公園麓
飯坂のはりかね橋に雫する あづまの山の水色のかぜ