那須温泉発見のいわれ
那須温泉の発見は、西暦630年代といわれています。時は34代舒明天皇の時代7世紀前半、那須山麓の茗荷沢の住人・狩野三郎行広という者が、ある日、狩にでて大きな白鹿にあい、矢を射って傷つけました。逃げ去る白鹿を追って峡谷に至ると、傷を負った白鹿が湧き出る温泉に浸かって、傷を癒しているのを見つけたことが那須温泉の発見といわれ、その後、温泉が開かれ、温泉神社が創建されたといわれています。現在の元湯・鹿の湯は、このいわれにちなんで名付けられたものです。西暦738年の記録である正倉院文書「駿河国正税帳」の条には、「小野牛養朝臣が病気療養のため奈良から那須温泉に向かった。」とあり、奈良時代から那須温泉が広く知れわたっていたことがうかがえ、全国数千の温泉の中でも、最も古い温泉といわれています。この彫刻は、この那須温泉発見のいわれに基づき、大きな白鹿が那須温泉に浸かっているところを表したものです。 平成5年4月  那須町
 鹿の湯 湯泉神社 那須湯元 那須郡 栃木県