並び地蔵(お化け地蔵) 含満ヶ淵 日光
慈眼大師天海の弟子約100名が「過去万霊、自己菩提」のために寄進したもので、列座の奥には親地蔵が置かれていた。霊比閣に一番近い、やや大きめの石地蔵は、「かんまん」の梵字を書いた山順僧正のものである。明治35年(1902)の大洪水で、親地蔵と他の地蔵がいくつか流された。また、参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、そのつど数が違うというところから、化け地蔵とも呼ばれようになった。  (立て札より)