天海は比叡山で天台宗の奥義をきわめた後、徳川家康に仕え、日光山の貫主となる。当時の日光は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極にあった。家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移し、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人である。天海は寛永20年(1643)108歳で大往生した。この銅像は、日光出身の彫刻家、倉沢実の作。  (立て札より)
天海大僧正(慈眼大師)銅像 日光