勝道上人が日光を開山(766)した頃、この鉢石町一帯にも初めて人家が建ち、上人の命令によるものか、または上人の行跡を讃仰する民間伝承かは不明であるが、「鉢を伏せたような形状」が名の起こりであり、上人の法縁にあやかるものである。 この付近は中世紀までは「坂本」と呼ばれていたが、日光山の門前町として「鉢石町」の名称で呼ぶようになったのは、元和から寛永にかけての東照宮造営を契機としてであり、江戸五街道のひとつである日光街道23宿駅の最終駅「鉢石宿」である。 昔より、石の周囲には柵を設け、注連を張って神聖視されて保護の手が加えられてきた。日光開山にまつわる民間伝承の古蹟として、また、日光における門前町の発達を示すものとして価値が高い史跡である。 平成15年4月 日光市教育委員会 |