小右衛門一里塚・弁財天堂 栗橋
栗橋町指定文化財  一里塚  平成4年7月30日指定
慶長9年(1604)徳川幕府は、大久保石見守に命じて東海道、中仙道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道をはじめとして、主要街道に一里塚を築かせた。江戸の日本橋を起点として、一里(4km)毎に塚を築き、その上に榎を植えて道のりを表し、伝馬制度に大きな役割を果たしたほか、旅人の休憩所にも利用された。付近には茶店などもあり、また、駄賃などの目安にもなり大いに賑わったと思われる。今でいえば、鉄道の駅を連想させる。また、この塚は幸手宿と栗橋宿の中間で、小右衛門村(現・栗橋町大字小右衛門517−3)にあり、江戸から14番目にあたる。現在、塚の上には字堤外(現・権現堂川)から移築されたという弁財天堂が建てられており、塚の高さは西側から約2m、5間(約9m)四方の遺構は、塚の形態と当初の広さを残し、当時の姿を偲ぶことができる。
    栗橋町教育委員会