千住小橋 千住橋戸町 千住大橋下
千住大橋は、隅田川に最初に架けられた橋で、徳川家康の関東入国間もない文禄3年(1594年)に、普請奉行伊奈備前守忠次によって架けられた橋です。文禄3年の架設の際に、伊達政宗が資材を調達し、水腐れに最も強いという高野槙が使われたと伝えられています。その後、流出や老朽により、何度か架け替え、修復を繰り返してきましたが、大正12年の関東大震災にも焼け落ちることはありませんでした。しかし震災復興計画にもとづいて、近代化が計られ、昭和2年に現在のようなアーチ式の鋼橋となりました。町の人々は、永年親しんできた旧木造橋に感謝を込めて、その橋杭を火鉢にしたり、千住の彫刻家が仏像などに加工して大切に伝えています。 その昔に架けられていた橋の一部と思われる木杭が今もなお、水中に眠っています。時には、桟橋の上から見えるかもしれません。
「きゃ羅よりもまさる 千住の槙の杭」  古川柳   平成5年3月  東京都・足立区