愛発(あらち)
親鸞聖人御旧跡 1207年に越後へ流罪される折に、この地に泊まられた。その時に「越路なるあらちの山に行きつかれ足もちしほに染まるばかりぞ」と詠じられた。右奥の廃寺「光伝寺」境内にも文化11年(1814)建立の石碑が立っている。

宿駅 平安末期から「山中」という地名が出てくる。江戸末期には宿駅となり一里塚、口留番所、高札場が設置されていた。享保12年(1727)には46戸で200人近い人が住み問屋も10軒ほどある宿場であったといわれている。
親鸞聖人有乳(あらち)山旧跡 山中 敦賀市 福井県