江戸時代の今津村は、隣接する弘川村とともに、金沢藩近江領として、前田家の支配を受けていました。文禄4年(1595)3月に豊臣秀吉が前田利家に領地として与えたことが始まりです。前田家から今津・弘川村の支配を任せられたのが、河原林甚六で、その後甚六は甚右衛門と改め、金沢藩の今津代官に任命されました。2代目甚右衛門のときには、前田利常から今津姓をゆるされ、子孫は代々甚右衛門を名乗り、この地に代官所がおかれていました。浜辺には石垣が突き出ていて、舟が発着した跡が残ります。建物は大正2年(1913)の火災で焼失しましたが、辻川通りを西に向った天神の忠魂碑の西側には、今津家代々の墓標が今もたたすんでいます。
 金沢藩今津代官所跡 今津町今津 高島市 滋賀県