当初は帆立貝式古墳で、周辺にある高塚四基の陪塚と共に宮内庁の所管となっております。「王塚」又は「ウシ塚」と呼ばれ、地元では応神天皇の皇玄孫彦主人王の墳墓と伝承しています。 伝承では、彦主人王は近江国、北越五ヵ国を刺史として治めておられました。 越前国坂中井の里より妃として迎えられた振媛(ふりひめ)さまは垂仁天皇の子孫にあたられこの山崎の他で三つ子をご安産になりました。三王子の弟君彦大王は後に中興の名君第二十六代継体天皇となられました。彦主人王は王子が五歳のときお亡くなりになりましたのでこの地に葬られたと伝えられています。当墳は大小四捨数基の塚が散在する王塚田中古墳群の最大のものです。 安曇川町
 安曇陵墓参考地 安曇川町常磐木 高島市 滋賀県