鵜川48体仏は天文22年(1553)に近江半国の守護職であり観音寺城主であった六角義賢が亡き母の追善のため弥陀48願に因んで造ったと伝えられる。ここにいま33体を数えるがもとはその名のように48体が東面して6体づつ8列に露座していたようである。不足の15体の内13体は大津市坂本本町にある慈眼大師廟の傍に移され残り2体は昭和62年10月に盗難にあった。仏体はいずれも定印を結んだ阿弥陀如来坐像であってすべて同一の様式を示している。大きさはそれぞれについて多少の差はあるが標準的なものをとれば高さ1.6m、膝巾1.3mある。石質は花崗岩で風雨による摩滅もみられるが容貌や衣文の彫法によく時代の風を存している。  平成4年3月 滋賀県高島町
 鵜川四十八体仏 鵜川 高島市 滋賀県