大門宿 本陣表門 大門 字東裏2、864−1 さいたま市
大門宿は、日光御成道の宿駅で、ここ会田家が本陣、問屋を勤めていました。日光御成道は、徳川将軍が日光山に参詣するときに通行したのでその名があり、大門宿は、元禄10年に正式に発足した。この表門は、かや葺きの長屋門であるが、番所がついているのが特徴である。昭和44年に解体修理したところ、元禄7年建立、文政7年修理の銘文が発見された。将軍は、岩槻城に宿泊したので、大門宿では休憩する程度であった。安永5年(1776)の徳川家治の日光社参では、ここ本陣に松平定静(松山城主)が、はす向かいの脇本陣に酒井忠以(姫路城主)がそれぞれ宿泊した。なお、会田家は、紀伊徳川家鷹場の鳥見役や大門町の名主を勤めていた。大門宿本陣を正確に伝える史跡として、また古いかや葺き長屋門の一例として、この表門は貴重な遺構と言える。 昭和55年12月1日    埼玉県・浦和市教育委員会   所有者  会田幸紀