壬生町の大通り(正式名:日光道中壬生通)は、実学を奨励した壬生藩主の鳥居忠挙がこの地に蘭学を導入し、多くの蘭学者を輩出したことにちなんで「蘭学通り」と命名したものです。「蘭学」とは西洋の学術を対象とする学問ですが、鎖国を行なっていた江戸時代、オランダ人を介して学んだことから、こう呼ばれています。とりわけ、幕末から明治の壬生は「名医の街として」、当時の新聞にも「藩政改革以来、医業をも言って事へし各老練熟達の西洋医隆々として依然門を構える、其の上近頃、二・三の新開業医現れ何れも門前市をなす」「内にも斉藤元昌氏の如きは名声すこぶる高く遠路の往診実に頻繁なり」とあり、街道沿いに多くの蘭方医が開業し活躍したことが覗えます。この史実からも(蘭学通り)とも呼ばれています
 蘭学通り 壬生町 下都賀郡 栃木県