大光寺 勅使河原 上里町 児玉郡 埼玉県

見透灯籠
大光寺は、臨済宗円覚寺派の寺で、山号を勅使山という。建保3年(1215)に武蔵七党の一党である丹党の、勅使河原権三郎有直が創建したもので、勧請開山は日本へ初めて禅宗を伝えた栄西禅師である。 その後、応永18年(1411)に現伊勢崎市の泉龍寺白崖宝生禅師により再興された。しかし、天正10年(1582)の神流川合戦により総門のみ残し焼失した。 明治42年2月に高崎線の灰煙を被り全焼したため、本堂等を再建し現在に至っている。なお、当寺には栄西禅師直筆の扁額と総門、忠臣直重父子の冥福を祈った不背碑(親子地蔵)、六角のガン部をもった石憧、神流川の渡しの標準と旅の安全を祈った見透灯篭等が現存し、貴重な文化財として知られている。毎年4月23日に勅使河原氏の慰霊祭でもある蚕影山が行われ、養蚕の道具に加え、最近では植木市等がたち大変な賑いを見せている。 昭和60年3月 埼玉県