本庄城趾 本庄3丁目 本庄市 埼玉県
本庄城は、弘治2年(1556)本庄宮内少輔実忠により築城されたといわれている。 本庄氏は、山内上杉氏に属したが、永禄10年(1567)に後北条氏に攻められて落城し、後北条氏に服したが、実忠の子隼人正の代に至って天正18年(1590)豊臣秀吉の関東攻めにより落城した。徳川家康の関東入国に伴い、信濃国松尾の城主小笠原信嶺が一万石を賜って新城主となったが、慶長17年(1612)その嗣子信之の代に古河城へ移封され、本庄城は廃された。元禄13年(1700)の城跡検地帳には、3町4反5畝29歩(約3.4ヘクタール)と記されている。その区域は、現在の本庄簡易裁判所から八坂神社にかけての地域で、北側は元小山川が流れ、南東は久城堀で切断された自然の要害であった。なお、小笠原信嶺夫妻の墓は、開善寺にあり、本庄城跡は昭和33年本庄市指定の文化財となっている。 昭和61年3月 埼玉県  本庄市