忍領石標 新島 熊谷市 埼玉県
「従是南忍領」と彫られたこの石標は、忍藩が他藩の土地との境界を明らかにするため、藩境の16箇所に建てたものの一つです。始めは木材を用いていましたが、安永9年(1780)に石標として建て直されました。その後、明治維新の際に撤去されることとなりましたが、昭和14年にこの石標が再発見されると、保存の道か講じられ、元の位置に再建され現在に至っています。また大字石原字上植木には、「従是東南忍領」と彫られた石標がもう一基ありましたが、そちらは現存していません。 平成13年11月  熊谷市教育委員会