一里塚 新島 熊谷市 埼玉県
この一里塚は、旧中山道の東側に築かれたもので、今でも高さ12m、樹齢300年以上のけやきの大木が残っています。 慶長9年(1604)、江戸幕府は江戸日本橋を起点に、東海道・中山道など主要な街道沿いに旅の道のりの目印とするため、一里(約4km)ごとに一里塚を設けました。当時は、中山道の両側に五間四方の塚を築き、榎などが植えられたといわれますが、西側の石原分の塚は現在残っていません。 宝暦6年(1756)の『道中絵図』には、熊谷地区では、久下新田・柳原(現在は曙町)・新島に一里塚が描かれ、「榎二本づつきづく」とあるが、現存する新島の大木は不思議なことにけやきです。 平成12年9月 熊谷市教育委員会