旧熊谷宿本陣跡 本町1丁目 熊谷市 埼玉県
本陣は、江戸時代初期の寛永12年(1635)諸大名に対する参勤交代制度が確立されてから、各街道の宿場町に、置かれたものである。諸大名や幕府役人・公家貴族などのための特別な旅館であり、門・玄関・上段の間を.具えることができて、一般の旅館(旅籠屋)とは区別されていた。従って本陣の経営者も土地の豪家で、名字帯刀を許されるものが多かった。熊谷宿の本陣は、明治17年(1884)の火災と昭和20年(1945)の戦災で跡形もなく灰燼に帰してしまったが、嘉永2年(1849)一条忠良の娘寿明姫宿泊の折道中奉行に差出した本陣絵図の控が竹井家に残っており、その絵図によって内部の模様が細々とわかる。中山道に面し、間口14間5尺(約27m)で、奥は星川にまで至り、上手の御入門・下手の通用門・建坪・部屋数・畳数など、全国に現存する旧本陣と比べても規模・構造共に屈指のものである。  昭和59年3月 熊谷市教育委員会