札の辻は、高札の設置場所で、高札場とも言われた。高札は、掟・条目・禁令などを板に書いた掲示板で、一般大衆に法令を徹底させるため、市場・要路など人目を引く所に掲示された。熊谷宿の高札場は、宝永年間(1704〜1711)に作られた「見世割図面写」により場所・大きさなどが推定できる。場所は、本町長野喜蔵の前の道路中央にあり「町往還中程に建置申候」と記され、木柵で囲まれた屋根のある高札場が描かれているので今の大露路と中山道の交差するこの説明板付近と推定される。 (中略)現在、高札は本陣であった竹井家に14枚残っている。 昭和59年3月 熊谷市教育委員会 |