久下の渡し・冠水橋跡 久下 熊谷市 埼玉県
幅2.7m長さ282.4m制限重量3t。中央部99.4mの区間は巾4.5mの待避所あり。4種類不揃いな44本の橋脚。ムカデに似た貴重な冠水橋でした。昭和30年県道・冑山熊谷線として大里と久下を結んで架設され48年間、地元の生活道路として利用されました。平成15年6月の新久下橋完成とともにその役目を終えました。

この地は鎌倉時代には熊谷直実の叔父の久下氏の領地で、やや下流には館もあったといわれる。 江戸の頃、幕府の施策でこの一帯は荒川の付け替え大工事が行われ現在の荒川になった。 以後、明治の鉄道開設まで江戸との舟運の起点・久下新川河岸として栄え、帆を張った早船や、中山道の旅人で賑わった。 舟運が廃れたあと、渡しが対岸との交通手段となっていたが、昭和30年県道の一部として久下冠水橋が架けられた。