鴻巣宿碑 本町4丁目 鴻巣市 埼玉県
熊谷宿まで4里6町(16.4km)  桶川宿まで1里30町(7.2km)
五街道の一つである中山道は、東海道とともに、江戸と京都を結ぶ重要な街道でした。 そのため、幕府の御用通行をはじめ、諸大名の参勤交代や家臣の往来、公家、商人、諸参詣人、さらには、荷物や書状など、さまざまな通行がありました。 江戸の日本橋から京の三条大橋までは、135里2町余(約534km)で、東海道よりも距離か長いものの、大河や海がなく、安全であることから、古来より、重要な街道として、人々か往来していました。 鴻巣宿は、慶長7年(1602)に、本宿(現北本市)から移動して設置されたもので、江戸から12里8町(約48km)、7番目の宿として栄えました。 天保14年(1843)には、人口2274人、戸数566戸のうち、本陣1軒、脇本陣2軒との記録があり、県内9つの中山道宿場(蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄)の中で、人□・戸数ともに3番目の規模となっており、鴻巣宿の賑わいを物語っています。  平成25年10月 鴻巣市観光協会