桶川宿碑 寿2丁目 桶川市 埼玉県
桶川宿は、日本橋から10里余り、江戸から6番目の宿として開かれました。健脚であった江戸時代の人々のほぼ一日の行程にあたります。中山道は、徳川家康が1590年江戸に本拠を置いた後、五街道の一つとして整備が進められました。三代将軍家光によって、参勤交代の制度が確立した1635年ころには、ここ「桶川宿」はすでに成立していたと考えられます。宿場の開設当初に近い1637年に58軒であった宿場の戸数は、紅花が取引されるようになった1800年には247軒に達し、桶川宿も「町」としての姿を示すようになったようです。その後、桶川宿は、「中山道もの」といわれた麦や紅花の集散地として栄え、幕末に近い1840年ころには、家数347軒に達しています。中山道桶川宿は明治に至り、1885年の高崎線桶川駅の開業とともに、宿場としての役割を終えますが、以降近代をとおして、埼玉県中央部における麦の集散地としてその繁栄は続きます。