南方神社 吉野町2丁目 北区 さいたま市 埼玉県
南方神社由緒
 当社は往古、信濃国一之宮諏訪大社の大神を吉野原の村人が村の鎮守として勧請したものであると伝える。鎮座地の地名「鈴木」は中山道の側にあり樫が鬱蒼と生い茂ることから、夏も爽やかな風の通る涼木に由来する。主祭神は「明細帳」に「建御名方命」と載る。社名「南方」は主祭神建御名方にちなむものであるとともに諏訪湖を表わす「水潟」にゆかりがある。 境内にある手水鉢の銘文には「武州足立郡吉野原村字鈴木惣氏子中文政十三寅年(1830)七月吉日」とある。これは寅と申の年、すなわち七年目ごとの寅と申の年に行われる諏訪大社式年造営の御柱祭に合わせて造ったものである。別当は「風土記稿」に「不動院持ち」とある。不動院は村内の真言宗清浄院門徒で、同寺住職の隠居寺であった。 造営は、文久年間(1861〜1864)に社殿の改修が行われた。このとき本殿・拝殿の形式を整えるために、覆屋を拝殿とし、更に、参拝者の便に供するために唐破風屋根を付けた。
 明治45年5月22日、「明細帳」によると、大字吉野原神山無格社の愛宕雷電稲荷合社と境内社八雲社・明神社・女神社、大字大谷別所字山王前の無格社八雲社、字神明無格社の神明社、字稲荷村社の稲荷社と境内社雷電・金山・竃神合社・浅間社を当社に合祀し南方神社とした。平成3年3月には、御大典を記念し、氏子の浄財をもって当時の拝殿を残し、新たに幣殿と本殿、平成21年伊勢式遷宮に合わせ鳥居・境内整備の造営を加える。