賀茂神社 宮原町4丁目 北区 さいたま市 埼玉県
祭神 別雷命 他
当神社の御創立は文化7年徳川幕府によって作られた新編武蔵風土記稿にも「加茂社、加茂宮村の鎮守にして社辺に古杉数株あり土地のさま旧社とみゆれど勧請の年代詳かならず」と記されているが、社前に宝暦3年4月、弘化2年12月と刻まれたもの、また文政10年8月御迁宮と刻まれた石灯篭も「あるので相当古い御鎮座であることがわかります。その昔京都の上賀茂神社を勧請したものと伝えますから別雷の神を祀って五穀の豊穣と萬物を生みなし育てる神として祈り崇められてきました。
幕府の参勤交代の時代加賀の堀丹波の守が中仙道を往来の砌りその妻が俄かに産気を催したので当社に立ち寄り御加護を祈願したところ産気治まり無事国許に帰着の後、玉の如き男子の出生を見たという。安産御礼の為奉納したという幣帛は現存しています。 以下略 昭和55年4月