浦和宿星野本陣跡 仲町2丁目 浦和区 さいたま市 埼玉県
中山道は江戸と京都を135里余りで結ぶ街道で、木曾の山間部を通るため、「木曾街道」「岐蘇路」などともいわれました。中山道の宿場は、本来板橋宿(東京都)から守山宿(滋賀県)までの67次ですが、東海道と宿場を共有している草津・大津宿を加えて69次とするのが一般的です。浦和宿は日本橋を出て3番目の宿駅になります。 江戸時代後期の浦和宿には本陣1、脇本陣3、旅龍15があり、このあたり一帯が本陣の跡になります。本陣は大名などの宿泊や休憩にあてられる家で、浦和宿では星野権兵衛家が代々務めていました。222坪の敷地内には母屋や表門、高札場、問屋場などがありましたが、明治時代になってすべての建物が取り払われ、当時の姿をしのぶものは大熊家表門(市内緑区大間木に移築)のみになってしまいました。 なお、明治元年及び3年の明治天皇による大宮氷川神社行幸に際して、ここが行在所となりました。 平成19年3月22日 さいたま市教育委員会