旧中山道 下戸田2丁目 戸田市 埼玉県
この公園の脇にある小道は、江戸時代の中山道の一部といわれています。中山道は日本橋を起点として、武蔵・上野・信濃・美濃の諸国を経て、京都まで135里余り、宿場は板橋宿から東海道と重なる草津・大津宿を含めて69宿ありました。戸田市内を南北に貫く旧中山道は、戸田橋の下流100m程のところにあった「戸田渡船場」から始まります。埼玉県内の旧中山道は、この渡船場から始まりますが、残念ながら市内の道筋の大部分は失われてしまいました。しかし、市内にもまだ一部にそのおもかげが残されています。 その内の1か所が、現在の国道17号にかかる戸田橋下流の堤防付近に建つ「中山道戸田渡船場跡」の記念碑付近から、北に向かって約200mほど残る道筋といわれています。しかし、菖蒲川を越えた先からの道筋は現在まったく夫われてしまいました。旧中山道は川岸に残る道筋からしばらく北上した後、昭和の初期まであった荒川の旧堤防を斜行しながら横切り、現在の国道17号線に乗っていました。国道とオりンピック通りとの交差点付近には一里塚の跡てはないかといわれろ場所もありました。そして再び旧中山道は国道から離れ、この説明板の建つ公園の脇道約80mとつながります。ここは市内に残るもう1か所の中山道跡で、川岸から北上してきた旧中山道が大きく西に曲がる部分となっていました。道筋は、この脇道から再ぴ現在の 国道に重なり、蕨市に残る旧中山道へとつながって行きます。戸田市教育委員会