蓮華寺 番場 
北条仲時公、以下従士430余名の墓
 元弘3年(1333年)5月9日六波羅探題北条仲時公は京都での戦いに敗れ、北朝の天子光厳天皇・後伏見・花園二上皇を奉じて、中山道を関東に向かって番場の宿に着いたとき、南朝軍の包囲に陥り、やむなく玉璽を蓮華寺に移し大いに戦いたるも衆寡敵せず敗退し、遂に本堂前庭に於いて仲時公以下従士430余名ことごとく自刃す。 時の住職三代同阿上人は、深く哀憐され、その姓名と年齢・法名を一巻の過去帳に留め更に一々その墓を建て丁重に弔う。過去帳は重要文化財に指定され宝物館に収蔵され、墓は境内にある。              米原町教育委員会