壬申の乱の時、大海人皇子(天武天皇)が陣を構え兵士に山桃を配り、戦いに勝利したとの故事からここを「桃配山」と言われた。関ケ原合戦徳川家康は、壬申の乱・天武天皇その故事から桃配山に最初に本陣を構えた。
国史跡 家康最初陣地
慶長5年9月15日未明に、家康の配下三万余は、ここ桃配山周辺に陣取り、家康はこの山頂において、大馬印を高々と掲げ指揮にあたりました。 最後の陣地に移るまで、各陣営からの報告をもとに、しきりと作戦会議が開かれたと思われます。 ここにある二つの岩は、家康がその折にテーブルと腰掛に使用したと伝えられています。  関ケ原町
桃配山・家康最初陣跡 野上 関ケ原町 不破郡 岐阜県