あなたが立っている道は、五街道の一つ、中山道です。 またこの場所は江戸時代の加納宿九町目の西の端にあたり、右手は本荘村でした。九町目は加納宿の一番西の町ですから、ここは宿の西の入口にあたります。 加納の町の建設は、間ケ原の合戦から半年後の慶長6年(1601)3月、10万石の領地を与えられた奥平信昌が地元の有カ者たちを指揮し、城下町として整備したことに始まります。その後、寛永11年(1634)には中山道の宿場に定められました。城下町であり宿場町でもある加納宿は、21の町からできており、中山道に沿って軒が並ぶ細長い町でした。宿場の中心部では、岐阜町から名古屋の熱田へ続く岐阜・熱田道(御鮨街道)と交わっており、交通の要になっていました。 平成10年3月  岐阜市教育委員会
加納宿西端 加納本町9丁目 岐阜市 岐阜県