椰(なぎ)の木の碑 南台1丁目 瀬谷区 横浜市 神奈川県

江戸時代寛文年間(1661〜1673)、この地を治めていた島津久利侯が薩摩の国(現在の鹿児島県)より、椰の木の苗を取り寄せ植えました。村人も協力しその育成に努力しました。弘化元年(1844)江戸城で大火があり、本丸、西の丸を全焼してしまいましたが。その知らせを受け、当地の椰の木の良材を伐採して中原街道を急送し、その復興の要を果たしたと伝えられています。  平成4年6月  瀬谷区役所