六郷用水跡 田園調布本町 大田区 東京都

六郷用水とは、六郷領(現在の大田区の平地地域)の潅漑を目的として、江戸時代初期に幕府代官小泉次太夫により開削された農業用水路です。徳川家康の新田開発政策の一環として行われた六郷用水の工事は、慶長2年(1597)の測量に始まり、慶長14年(1609)に主要水路が完成、小堀と呼ばれる各村への分水路工事も含めると終了までに14年という長い年月を費やした大工事でした。
多摩郡和泉村(現在の狛江市和泉)で多摩川から取水された六郷用水は、世田谷領を経て、六郷領へと入り、矢□村の南北引き分けで北堀(池上、新井宿、大森方面)と南堀(蒲田、六郷方面)とに二分されました。その全長は約30km、灌漑面積は1,500haに及んだといわれています。この結果、六郷領と世田谷領の一部を合わせた約50ケ村の村々が恩恵を受けることになり以後300年余り大田区の農民の生活になくてはならない用水路として利用されてきたのです。  大田区