庚申塚 千束2丁目 大田区 東京都

文化11年(1814)に、品川の御忌講(御忌とは法然上人の忌日)という浄土宗を信仰する人々が再建したものである。背面の銘文から、延宝6年(1678)に森氏道円が願主となり建てた旧碑が、何かの事情で失われていたものを再建されたことがわかる。 この塔のような角柱型に文字を刻んだ庚申供養塔は、江戸時代後期によくみられる特色のものである。また向かって右側面に刻まれた銘文により九品仏(浄真寺、世田谷区奥沢)への道しるべを兼ねたものであることがわかる。この地点が中原街道から浄真寺に至る旧道の分岐点に当たることは、古い地図からも確認できる。江戸時代の民間信仰の様相を示すものとして貴重である。  昭和50年3月19日 指定 大田区教育委員会