古くは鎌倉へ通じる古道で、江戸時代には東海道の脇街道として往来の盛んであった中原往環(中原街道・相州道)沿いに「平塚」と呼ばれる大きな塚があった。伝承によると、後三年の役(1083〜87)において八幡太郎源義家をたすけた弟の新羅三郎源義光は奥州からの帰途、この地において夜盗に襲われ多数の配下を失った。その霊を祀ったのが、この塚の由来とされている。時の流れとともに、この塚は取り壊されたが、地域の人たちによって昭和27年(1952)3月、「平塚の碑」が建立され、伝承は受け継がれている。  昭和59年4月30日  品川区教育委員会
平塚の碑 荏原4丁目 品川区 東京都