その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人の良き目標になっていたそうです。誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。それがそのまま「二本榎」(にほえのき)という地名となって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。戦後、地番変更で高輪何丁目などと地名が変わりましたが、昭和42年に町内の黄梅院の境内に夫婦の榎を植樹し、石碑を立ててこの「二本榎」の町名をいつまでも忘れないようにしました。平成2年、「碑」をこの場所に移しましたが、二本の榎は黄梅院に大切に育てられています。この「碑」はこの町の住民にとって大切な象徴となっております。高輪二本榎町会
二本榎(承教寺) 高輪2丁目 港区 東京都