この公園付近は、江戸時代、上野沼田藩土岐家の下屋敷で、明治維新後は皇族華頂宮邸となった。ここは三田台から高輪、八ツ山に及ぶ一連の丘陸地の東端で、庭内には老木、大樹が茂り、遥かに房総の山々を一望のもとに見晴らす勝地であった。 西側の道路は古奥州街道にあたり、江戸開府前の主要道路であった。この地は、平安時代、菅原孝標の女が著した「更級日記」に紹介された竹芝皇女の物語の遺跡といわれ、亀塚の伝説が残されている。 塚は古墳とみられるが、人工の築山であることのほか、その証拠はえられていない。華頂宮が廃家となり、一時内大臣官邸となったが、昭和8年建物はこわされ、さらに昭和20年戦災をうけ、昔の趣きを失った。昭和27年11月3日、港区立公園として開園した。
亀塚公園 三田4丁目 港区 東京都