桔梗塚 北相馬郡戸米ノ井
  承平、天慶の乱(939年)の中心人物、平将門に由来する伝承地。相馬日記に「米野井の桔梗が原といふは、将門が妾桔梗の御前といふが殺されける所にてその墳あり。今も桔梗はありながら花咲くことなきは、この御前がうらみによれるなりといへり」とある。 竜禅寺に伝わる話では桔梗姫は大須賀庄司武彦の娘で将門との間に三人の子をもうけ、薙刀の名人であったが将門の戦勝を三仏堂に祈願しての帰路、この地で敵将藤原秀郷に討たれたと云う。 また一説には将門には常に七人の影武者がそばにいた。桔梗はだまされて本物は「こめかみ」が動くことを敵に教えたので将門はこめかみを射られて討死にした。その後秀郷は桔梗をも口塞ぎのため殺したと云う。 いずれにせよ郷土の英雄を慕う地元の人々がこの地を悲劇の舞台として語りつたえたものであろう。  昭和60年6月吉日   取手市教育委員会  米野井 竜禅寺  取手大利根ライオンズクラブ