小通観世音・十一面観音(清水山慈眼院十一面観世音) 小通幸谷町
 寺伝によると、天慶年間(938〜947)に平貞盛が父国香の菩提を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが子通幸谷の11面観世音の始まりとされている。 天正の初め(1753〜)、若柴の金龍寺の開祖である由良国繁は、岡見一族の供養のために7観音8薬師を建立した。小通幸谷の11面観世音は、7観音の一つで、由良の家老和田民部が奉行となり、観音堂は清水山慈眼寺観音寺と改められた。当地の11面観世音が眼病に霊験があると信じられ、当時は境内も広く寺領も1町歩あり、遠近の参詣者や参観者が多かったと伝えられている。 江戸時代は真言宗で、土浦市大岩田の法泉寺の末寺であり、享保2年(1717)俊栄の代に観音堂が再興されている。 明治初年の神仏分離令に際し無檀無禄寺院として廃寺となったが、同8年(1875)村中の総意により、7観音8薬師の由緒をもって、若柴の金龍寺の末寺として再興され、曹洞宗に改められ現在に至っている。 本尊11面観世音は、恵心阿闍梨の作とされているが、詳細は不明である。  平成6年3月    龍ヶ崎市教育委員会   文化財を大切にしよう