七里ケ渡と布施河岸 布施 柏市
江戸時代の元和2年(1616)に幕府は、七里ヶ渡を定船場に定めました。このころは「藺沼」という沼でしたが、承応3年(1654)になって利根川が完成しました。幕府が江戸防衛の意昧から、利根川に橋をかけなかったこともあり、下総と常陸を結ぶ要衝として、この七里ヶ渡は栄え、布施村には五軒の旅籠があって、宿場町的な繁栄も見られました。また、亨保15年(1730)に、土浦−小張−戸頭の水戸街道の脇往還(布施街道)が完成すると、それを利用する者が多くなり、七里ヶ渡の往来も一段と多くなったと思われます。ここにある水神様は、亨保4年(1719)3月に起こった、渡船中に事故の犠牲者の霊をなぐさめるため、また、再びこのような事故が超きないことを願って、建てられたものです。布施河岸は、七里ヶ渡と同じ場所にあり、江戸時代の中ごろに全盛期を迎えたようです。東北地方・利根川下流・霞ケ浦沿岸の荷物は、利根川をさかのぼり関宿を迂回して、江戸へ向かうのが通常でした。それが上流に洲ができたため、布施河岸で荷を降ろし、陸路江戸川側の流山加村河岸へ荷物を運ぶことが多くなりました。主な荷物は、海産物や米・炭・酒・タバコなどでした。明治23年(1890)に利根運河が開通すると、利根川をさかのぼってきた船は、運河を通って江戸川へ出るようになり、布施河岸の役目は終わりました。平成4年1月  柏市教育委員会   柏市文化財保護委員会