小熊の渡し跡・境川 小熊町西小熊  羽島市 岐阜県
小熊川の渡し
 美濃路が脇往還として定められた頃、境川は「小熊川」と呼ばれ、この渡河には定渡船二艘に船頭7人があたり、大名や貴人の行列が通行する時は、船28艘を並べた長さ22間の船橋が架けられた。小熊川と並んで流れている「大江川」は、現在の道路橋より50m程下流に土橋が架かり、ここから茶屋新田(岐阜市)の集落を経て墨俣川(長良川)を渡船で越え、墨俣宿へと至っていた。 小熊川(境川)は、その昔「尾張川」と呼ばれ、美濃と尾張の国境の大河であった。 天正14年(1586)6月に発生した大洪水で、流れが現在の木曽川筋へ移動すると、この木曽川が美濃と尾張の国境となり、羽島市の全域が尾張国から美濃国へ編入された。 また、尾張川はこの頃より土地の名にちなんで「小熊川」と呼ばれるようになった。 羽島市歴史・史跡検証委員会