及が橋 足近町市場 羽島市 岐阜県
中世には、これより1.6km上流に「鎌倉街道」が通っており、足近川の支流「及川」」に架けられていたのが「及が橋」である。 江戸時代になって街道が美濃路に付け変わり橋の位置が下流に変わっても、鎌倉街道の頃の名称が引き継がれていた。(江戸時代は、土橋で長さ16m、幅3.6m) 尾張地名考には「・・・及川は今はなし・・・北及(笠松町北及)の南にいま美濃街道と呼ぶ細道あり。その道に小さき土橋あり。これを逮(および)の橋の古跡という。むかしの橋は出水に流れて失せたり。いま墨俣街道南宿村(足近町南宿)の丁場にかかる橋にこの名あり」と記されている。 鎌倉街道の及が橋が、出水により及川から押し流されてきてこの地で止まったことから、美濃路の橋を「及が橋」と呼ぶようになったとも伝えられている。   羽島市歴史・史跡検証委員