大浦(三ツ屋)の道標 正木町大浦 羽島市 岐阜県
大浦金比羅神社前から西に進んで、、美濃路は旧木曽川堤防上にあがっていた。 徳川将軍たちが通行した船橋河戸へは更に1kmほど南下しなければならないが、定渡船場からあがった大多数の旅人たちは、この地点で堤防にのぼり右折していた。そこにあった道標が、現在は旧堤防跡地に建つ個人宅の門前に、当時の美濃路を示して残されている。これは昔、江戸の御典医が旅の途中、起宿で倒れて亡くなり、その医師が世話になったお礼として残していった路銀で、この辺りの医師達が相談して建てたものだと伝えられている。 碑文には「右いせみち、左おこし舟渡 寛延三庚午年(1750)、医師講中」と記されている。 羽島市 歴史・史跡検証委員会