起渡船場跡〜宮河戸跡 起堤町 一宮市 愛知県
起渡船場には上・中・下の3ヶ所の渡し場があった。大明神社の西にある木曽川を「宮河戸」、俗に「八百清河戸(やおせいこうど)と称した。もとは御手洗場でもあったが、船荷の揚げ下ろしがされていた。 対岸の渡船場は、美濃国中島郡新井村(現岐阜県羽島市正木町新井)の燈明河戸と呼ばれていた。 宮河戸は、大藩の木曽川渡船など、金刀比羅社のある定渡船場(「上の渡し」)だけでは渡船が困難な時に使用された。たとえば、文久元年(1861)の皇女和宮の下向は当初、美濃路の通行が計画されており、その時この宮河戸の使用も計画された。  一宮市教育委員会