白山神社 押切2丁目 西区 名古屋市 愛知県
美濃路
 美濃路は、江戸時代に東海道と中山道を結ぶ脇街道として発達したものである。その経路は宮の宿で東海道と分かれて名古屋・清須・稲葉・萩原・起の各宿を経て美濃国に入り、墨俣・大垣を経由して、垂井宿で中山道に合流した。その里程は14里24町15間(約57km)といわれ、五街道とともに道中奉行管轄の主要な街道であり、大名行列、朝鮮通信使、琉球王使などのほか、多くの庶民も往来し、にぎわいのある街道であった。

立て場・白山神社界隈
  白山神社の前は、立て場であった。 立て場というのは、人夫が杖を立てて休息する所からいわれ、宿と宿との中間にあって、旅人のために茶店等が設けられた。 白山神社について、『尾張名所図会』は、「社内に植木一株あり。是即白山の神水なれば、榎権現の称こゝに起る。」と記している。神社の西側を流れていた笈瀬川に権現橋という石橋があった。現在、川も橋もないが、かつての橋の欄干は白山神社の垣根の一部として使われている。   平成9年1月 名古屋市